【神に愛された者の食べ方】食とみことばと~摂食障害②~
前回に続いて
食とみことばと
摂食障害について
独り言を綴っていこうと思う…。
今回はシンプルに捉えたお話
【食べ方】について
語りたいと思う。
私がローフードの道へと
目覚める前に
書店で出会った著書
ハーヴイー ダイアモンド著者
【からだのちからが目覚める食べ方】
だった。
食べ物の組み合わせ
食べ方という事だった。
もちろん
子どもの頃から無意識に
からだに聞いて
食べたくないもの
食べたいものを
選択していたのは事実ではあるが
それも躾という枠で
いつの間にか
頭の中では
常識ではない事なのだと
置き換えられてしまった…。
そんな自然に生きていた
子どもの頃の様に
見直す事を
摂食障害の人達に
少しだけ伝えてみようかと
思ったのであった。
食べ方…
先日2度にわたりお食事を共に
した女性のJさんの出来事だった。
とても華奢ではあるが
スタイル抜群だった彼女と共に食事をした時に
後から運ばれてきた
サラダを口にはしなかった。
私には解っていた。
彼女は
食の組み合わせで体調を崩す自分を
きちんと理解していることに…。
何を食べる食べないか
生物学では
どのようなものを
食物としているかにより
動物を二種類に区別している。
単食性動物(狭食性動物)
雑食性動物(公食性動物)
〈単食性動物は文字通り
比較的限られた狭い範囲の食物を摂取する動物のことを言い
(キリン カバ シマウマ等の草食動物 トラ ライオン等の肉食動物)
雑食性動物も文字通り
植物から魚 獣肉まで
広範囲なものを摂取する動物である。(ヒト ゴキブリ ネズミ)
狩猟と漁業を主にするイヌイットは
アザラシやセイウチ等の海獣 魚類を主食とし
果物や野菜を殆ど
食べないと言われているようだ。〉
食べることの心理学
有斐閣選書
今田純雄教授著者
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そして日本人は
米や小麦 雑穀に野菜 魚を
主たる食物としている
獣肉を食べる様になったのは
最近の事なのだと言う。
そうして
食を見つめていくならば
時代や地域
食文化によって
大きく異なる事が解る…。
話を戻し
共に食事をしたJさんの食行動を
見つめ
手をつけず残す
申し訳なさを醸し出した数秒の間と
体調を
調整している彼女の
言葉にしずらい沈黙に
私の言葉も
シンプルだった…。
「消化不良起こすものね… 」
今ここで話している
彼女は摂食障害ではない…
言いたい事は
【食べ方】についてなのだ。
無意識にそんな食べ方
消化の、組み合わせを
理解していた彼女から
また
目を留めた私…。
食について学んでいる方達なら
ご存知の著書
【フィット ・フォー ・ライフ】
その著書にはこう記されている。
「食べ物は正しく
組み合わせて食べること」と…。
果物と野菜以外の食べ物は
凝縮食品であると言うことであり
胃の中で
同時に消化するようには
つくられていないと言うことである。
これは彼女や私だけに限らず
皆が経験していることと思う。
事実
私が中学生の頃に
購買でみんな同じものを買って
食べて飲んだ後に
一気にみんなで
具合が悪くなった記憶がある。
この組み合わせがとても
カラダに良くないのだと
女子みんなで
学んだ瞬間でもあった…。
伝えたい事を
まとめると
摂食障害の人は
一度
食べ物の組み合わせ
または
食べ方を見つめてみるのも
良いのではないかと思う…。
それは長い年月摂食障害について
見つめて来て
気がつく事があったから
ここで伝えようと思った…。
摂食障害者の人達の食行動は
生理的要因と認知的要因
の両者によって
二重に調節されている。
また
メンタルコントロールの反語的過程
で
強く意識化されてしまうところもある
という。
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前回の記事で引用させて頂いた
【食べることの心理学】の著者である
今田純雄教授はそう述べる。
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考えまいとすればするほど
メンタルコントロールの
反語的過程により過敏に
反応してしまうのであると言うのだ。
これを私が知識として
知っていたわけではないのだけれど
前回の記事にも綴らせて頂いた
内容は
それに意味した事だった。
【吐くなとは言わない】
そう
そこに目を留めないことだ…。
摂食障害の人達が
その行為をしてしまう前に
いくつか伝えていきたいことが
ある…。
それは
先ほどの
【食べることの心理学】にも
述べられているとおり
摂食障害者の人達の
食行動になっている
生理的要因と認知的要因の
バランス
いわゆる
からだで食べ始め 頭で食べ終わる
そんな
いつもいつも
頭で食べることを
意識化している中で
その行為の中で
私から
お願いがある…。
ひとつ
取り入れてみてほしいこと…
それはどのみち
食べ物に
意識化してしまっているならば
食べ物の組み合わせについても
意識してみてほしい…。
そして
良かったら
ローフードにも少しだけ
興味を持って欲しい。
不思議と少しでも
空腹感がなくなるうえ
カラダにとても優しい。
もちろん
好きなものは食べて欲しい…。
ゆっくり
からだの声を聴く時間を
とってあげて欲しい。
諦めず
さまざまな
食べ方にしても
組み合わせにしても
自分に優しい
食のバランス
心身共に潤してあげて欲しい…。
食
それは
みことばに
とても似ている…。
ひとつみことばを伝えたい。
~マタイ6章~
【 何を食べようか
何を飲もうか
何を着ようかと言って思い悩むな。】
きっと聖書を前後見ていくと
この
みことばの意味を
このように引用する事は
解釈の仕方が違うと
言われることでしょう…。
勿論
ご承知のうえで
摂食障害の人達へ届けたいと思った。
以前
過去に摂食障害で
リストカット経験の少女が
【代価を払って買い取られたのです。
もはやあなたに自身のからだではないことを知らないのですか】
そのみことばに触れて
嬉しかった
そう
言った事があった…。
深い歴史的な背景も
なにも知らない彼女が
パッと聖書を読んで
心を動かされた
みことばだったと言う…。
そう
子どものように
シンプルに表面的に捉えたので
あったとしても
それはそれで
聖書の言葉には
力があるのだと
思ったのである…。
神の愛は
海の水面 表面であっても
深みにあっても
変わらないのである…。
聖書…
自分の命のことで何を食べようか
何を飲もうかと
また
自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり、
体は衣服よりも大切ではないか。
空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、
倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。
野の花がどのように育つのか、
注意して見なさい。
働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、言っておく
栄華を極めたソロモンでさえ、
この花一つほどにも着飾っていなかった。
今日は生えていて
明日は炉に投げ込まれる
野の草でさえ、
神はこのように装ってくださる。
まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、
信仰の薄い者たちよ。
だから、
『何を食べようか』
『何を飲もうか』
『何を着ようか』と言って
思い悩むな…。
もう
苦しみ悩むな…。
いつも
喜んでいて…
自分を大切にして…。
それが
神に愛された者らしい食べ方…。
もうむやみやたらに
苦しめない
神に愛された者にふさわしく
あなたらしい
食べ方をして欲しい…。
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~食とみことばと~
このシリーズ
ひき続き
綴っていきます…。
感謝します…。
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