~そうだ 海へ行こう~
2021 7月の夏の日
その日は
オリンピック開会式の日…。
今年こそは
海に行きたいと言った
こどもの言葉を
最後の押しの言葉
スイッチ…となって
それを
きっかけとして
車を走らせたのです…。
懐かしい海と
潮風にパラソルの下で
運転に疲れた私。
癒してくれたのは
波のBGM
心地よく眠れました…。
そして
目覚めたら
波間でひとり
はしゃいだりしておりました。
(こんなお年頃になっても
子供のようにはしゃいでお恥ずかしいですが…)
夕暮れには
地元メニューのお食事を済ませて
数日前に電話をしたなら
偶然にもたまたま
キャンセルのあった
ロッジへ向かいました。
何も考えず
もう
とにかく
海へいきたかったのです…。
山奥の奥の奥まで入り込み…
自然にふれて
自然の湯に身体を癒し
子どもが用意してくれた布団
ロッジのロフトにて眠りました。
エアコンの音が
少し気になりましたが
とても心地よく
眠りつつも
思考も整えられる感覚になるのでした。
そんな中
真夜中3時49分に目が覚めて
ふと心を見つめていたのです。
すごくシンプルにモノゴトを
見つめることができる自分が
いたのです。
やりたいことはたくさんあるし
やらざるおえないことも
たくさんあります…。
しかしこの頃思うこと
毎日目まぐるしく
住んでいる地域は
どんどん緑がなくなり…
住宅は勿論
さまざまな施設が建ち並び
交通量が増えて
家にたどり着くまで渋滞が
激しくなりました。
新しい仕事や買い物
家事や家計や書類整理や
教育のこと自分の今後の事
毎日が目まぐるしく
そんな中で大変な
ある出来事が起きて
そこから次々と
モノが壊れ始めるのです。
それも連続で…。
ある出来事から始まり
愛用していた
カリモクの椅子が
パキンと半分に割れてしまったり
子ども部屋の電気が
まだまだ替えて
時も経っていないのに
バチンとかいきなり
消えてしまったり…。
以前
大切にしていた鏡を
割ってしまった時に感じた事を
思い出しました。
そうそれは
何か手放しの時と
感じたのです。
新しい事の始まりで
向きを変えなさいと…。
その鏡が割れた時
何年も大切にしてきた
十字架のピアスも
片方を失くしてしまったのですが
そういう時は
静まりなさいと神様が
伝えている事だと気がつくのです。
しかしひたすらがむしゃらに
行動したり
ひたすらあれやこれやと考えたり
日常に追われている時には
柔和な感性で
研ぎ澄ます耳を
失いやすいものです。
だいたいそういう時は
波調の状態に
ズレがあって
何故か波が
合わない人と近くいたり
時間を過ごしたりしている事が
わかります。
希に尖った波を出してる人が隣にいると
気がつかないふりをしていてますが
かなりカラダへの
ダメージも大きいです。
本人も気がついてないのでしょうし
私も気がつかず
気がつく時は
周りの状態 やモノによって
やっと気がつきます。
結局自分が
影響を受けて感情の揺れから
触れるものにも
所作にも
物質的な存在に
影響が与えられるのか
目に見える結果として
表れてきます。
親しい人は
そんな私の事をしっているせいか
笑い話になっておりますが
結構本人は大変です。
人の発する
言葉の影響や見るものも
ダイレクトに影響しますが
それも
みことばと
神の武具を見にまとうなら
大丈夫です。
アンテナが高いので
いつも絶えず
御霊に歩まないといけませんね…。
そういう時は
大体が
身体もかなり疲労していてると言うのに
やたらと
動いてしまっている事が
ありますよね。
なのに
それさえも
気付かないでいるわけですから
本当は
気が付いていても
そういう環境に置いてしまう自分が
いるのも否めません。
そうなったら
神様としては
シグナルを出して
教えていくしかないでしょうね…。
もちろん原因と結果を含めてですが
椅子が割れた事も年数が経って
古くなったからというのも
あるでしょうが
時に電化製品など
私の娘が触れると
突然狂ったり
よく壊れたりしていましたから
それからよく
発している波と物質(モノ)についても
見つめるようにしているのです。
さて
そんな中で
最終的にやりたい事へ
向かっての
今のはずなのに
ふと
その自然に触れたその時に
思ったのです。
自然ほど変わるものはない
それはまるで
神様の存在の様に
ただ本当に
素直にシンプルに
存在しているけれど
決して廃れることのない
常に新しく
そして
変わることのない存在なのだと…。
それで以前からやりたい事を
遠回しにしていないで
自分にやらせてあげようと思いました。
何故
やらないのだろう…?
何故なら
それを
優先的にしておかないと
慣れた事は
いつでもできるけど
もう
時間も
限られているわけですからね。
そう
自然の中で
感じたのです。
まるで呪文が解かれたように…。
その日
自分自身に思うように
やらせてあげようと決めたのです。
手当たり次第になんでもしなさい…
先日の水曜礼拝のみことばでした。
神様に忠実に
そして
神様に愛されながら
なんでも祈ってみて
なんでもやってみよう…
そうだ…
まずは
海へ行こう…
初めての道を走ろう…
自分ひとりで
何でもやってみょう…
全てが新しくて
ドキドキです。
だって運転も元々は
てきなかったのてすから…。
もっともっと
手放して
もっともっと
主にあって
自由にいきたい…。
主にあって…。
主にあって…。
~真理はあなたがたを自由にします~
ヨハネ8章32節
このあとも
お話しは
続きます…。
追伸…
帰り際
お部屋の鍵を
受付に返したなら
「この大福
今日までなので食べてください」
と
何とも控え目な
私へのお気遣いの
お言葉
心配り…。
嬉しいですね…。
そして
20年前に示された場所で
再び
執り成しの祈りをしたのち
うぶた堂の
優しいお菓子
ほろり
を買って
家路に向かいました…。
また
いつか
逢えます様に…。
感謝します…。
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