『やらないと決める』~時が来ると実がなり~
厚手のカーテンは
幾つもありますが
あえて使用しません………。
朝の目覚めは
自然の明かりで目覚めたいからです。
これはみんながしているから
当たり前の事なのかも知れませんし
部屋の温かさを逃さないための工夫でもあるのでしょうが
私は
このスタイルを選びました………。
10月の末の朝の祈りの時間に
聖書の
ある御言葉を頂き
衝撃を受けた私は、
ある事に
目が覚めたのです。
『やらないと決心する。』
でした。
世の中は、
すぐに行動する力や
決断力を強調します。
とにかくやるべき
行動すべきを語ります。
かっこいいですよね。
スマートなイメージがあって………
充実感ある姿を持ちます。
情熱的でキラキラしていて
憧れるほどに
素敵ですよね……。
ですが
今まで
気がつかなかった事でしたが、
人は
どうして
鍵がかかってないのにも関わらず
監禁から脱け出そうとしないのでしょうか………
手を伸ばして
腰をあげて
あのドアノブを掴むだけなのに
どうして一歩も動かないのでしょうか………。
それは、
長い月日の間に
頑張っても頑張っても
努力しても努力しても
逃げられないようになっているシステムと
その思考に洗脳されていくようになってしまったからです。
習慣化してしまうと
思考も束縛されたまま
新しいことや
喜びも平安も奪われ
思考停止か
あるいは
不安と絶望感に陥る
疑心暗鬼の
負のスパイラル。
余計な思いが鎖のように
巻き付いてしまうのです。
一見、目に見える
呪いや暴力がなかったとしても
どうして
束縛な心を持ったままに継続されていくのでしょうか。
たとえ
逃げ出せる
タイミングが来ていても
足腰は長年
鍛えていなかったために
いざというときには
もう走り出すことさえも出来なくなっていることも
少なくはないでしょう。
習慣化してしまう
環境に
まずは目を止めなければいけません。
もし
その人が
そのような思考に陥る習慣があるなら
まずはそこから
祈って取り除くように
力と努力や工夫が必要なのだと思います。
自分の愛する人
家族
仲良しの人
仕事場
仕事場の体質
地域の人達
地域の束縛
友人関係
自分が揺らぐ
出来事
心の滞るモノ
感情のスイッチが入る出来事
言葉
自分の良さと
自分の
弱さ。
隠されてる心のうちに
影響を受けてしまう環境と人は何処で、誰でありましたか………。
私は、
決心しました。
聖書の御言葉を頂いたタイミングが
ちょうど
こどもの文化祭の次の日でした。
みんなに見守られての舞台発表では、
マジックを披露したのです。
その時のこどもの姿がイキイキとして
本当に嬉しかったです。
こどもの為に
もっとしてあげたい事が
たくさんある中、
今の私の選択していることを
もう1度
細かく見つめてみたのです。
気がついた事は
結果
『やらないと決める』でした。
自分がやるべき事を
今の状況で
自分なりに納得して
見極めたら
やらないと決める事が
最初に気がつかされた事となりました。
こどもがいるから
お金がかかるから
時間がないから
すべて
言い訳です
は、過去に
お家でプチコンサートをしてきていましたし
作家作品galleryの委託販売も
個人的にしていましたので
そのような事も全部
主催して
集客して
人数分のランチを作っていたので
全く経験がないわけではありません。
なので
すべてを言い訳せず
やれるところから行動をしてきました。
私が
本気だと知って
いきなり
反対されるまでは
本当に
不思議と
自分のお店が実現できる
流れまでに
タイミングも見事に寄って来ました。
その為に不安でしたが自分なりに準備と
コツコツ計画を数年後の自分の未来の為に
順調に進めていました。
もちろん反対されてからは気が抜けて道を失いましたが
大丈夫です。
次は
新しくブログ伝道を試みました。
PCも持っていなかったというのにです。
携帯で甥っ子に聞きながら
そして甥っ子に用意してもらったPCを使用し始め
手探りですが
今もこうして
続けられていること感謝しています。
正しい神様目線でいたからこそ
思うままにならなくとも
次の抜け道を
通る事が出来たのだと思っています。
ですが
深みにはまってしまって
自分が見えなくなってしまっている気がしたなら
やるべきなのだから
やらなければいけないのだから………を
一旦
やらないに置き換える事をすべきかとも思います。
書店で何気に立ち読みしたイギリス人のやらない決断。
と言う内容にも
共感しました。
このやらないは
プライドが高いからとか
自信がないからとか言うもので
片付ける領域ではなく
(不安に苛まれる
煩わしくある感情の裏側をていねいに観ていくために
プライドと自信のなさだけに片付けず
一旦、祈りと共にやめてみることが、良いかと思っているのです。)
行動する時の心の中身なのですが
ひとつめ
この世の成功という頑張りを
しないことは
いけないこと
今の自分では
息苦しいのに
自分が頑張って
自分が努力して
我を
前に出していた行動と思考を止めて
神と
愛する者に目線を置くこと
ふたつめ
愛情だと思っていた相手の為としていたところを
神と
自分を大切にするポジションに置き換える
自分自身を愛する
と言うことでした。
要するに真逆に
置き換えてみたのです。
すると
私の心は
水路のそばに植わった木のようになり
喜びがわき出たのです。
今まで色々と出来なかった事が
あえて
『やらない』と決めた途端に
スムーズに行動できるようになったのです。
信じられない………。
『やるべき』の動機は………なんでしたか。
『やらない』の動機は………何からでしたか………。
私は自己中心だったのでしょう。
神の愛から
気が付きました………。
『主の教えに従って生きる人は
野生種の木ではなく
主によって植えられた栽培種の木です。
『水路』という言葉は
複数系となっています。
つまりひとつの水路が駄目になっても
水の供給は、
決して絶えることがないという事です。
その木は、
~時が来ると実がなり、その葉は枯れない~
のです。』
~ディボーションガイドから1999~
降りしきる雨に
『この雨に濡れないように
してみよ』と言われて
やってみせようと
己の
剣で切ろうとしたところで
雨は
ひたすら
自分の身を濡らすだけ………。
剣もいらない
雨にむかって
振り回すことも
しなくてよい………
剣をいったん戻して
天を仰いで
あるがままの雨を
受け入れるのです。
濡れてよいのです………。
濡れてしまえば
雨と同化するので
そこから
雨を知って
自分の在り方も
見えてくるのではないでしょうか………。
時が来れば
雨も必ず
止み、
光が射し込みます。
まずは
今の恵みを受け取り
もう1度
心の余分な力を抜いて
やるべきなのだと
行き急ぐ前に
何処かで
長い道のりのように感じたり
喜べなくなって
疲れて来たときには
何を
やらないと決めるのか
十字架の言葉
主の
恵みの雨を受けてみませんか………。
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